「Something」の英国盤シングルが出て50周年、と1日

11月は18年前にジョージが亡くなった月。お誕生月の2月と並んで、ジョージのことをいつもよりさらに多く思う月である。昨日、10月31日はジョージの「Something」がアビー・ロードからシングルカットされて英国で発売された日だった。昨晩たまたま気が付いたのだが、昨日でリリース50周年である。ジョージの曲がシングルA面に選ばれたことはもちろん、アルバムの発売より後に、そのアルバムからカットされたシングルが本国イギリスで出ることも、ビートルズ現役当時は「Something」が最初で最後だったという(これ以外は先行発売かアルバムと同時)。昨晩読んだ「レコーディング・セッションズ」によると、このビートルズとしては異例のリリースは、当時ポールと対立しながらマネージャーに就任したアラン・クレイン(アレン・クライン、アレン・クレインなど色々な表記があるようだが、自分が知ってるのはこの名前)が「アメリカ流のやり方で」金儲けをするためだったとのことだが、「Something」の英語版Wikipediaを見ると、この記述に対するアラン・クレイン本人からの反論という言葉が載っていた。これをシングルとして出したのは、「Something」をアルバムの中で最高の曲だと高く評価していたジョンの提案であって、ジョージを作曲家として世界に知らしめ、ソロアルバムの制作に取りかかるように勇気づけるためだったという。そうだとすると、当ブログで先日書いた、お誕生日にひとりでデモを録音したジョージの決意が、ジョンにはしっかり届いていたと…

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