またひとり 砂を噛む

「砂を噛むような」という言い回しを「悔しくてたまらない」という意味に解釈する人が現在では半数以上を占めている、という最近のニュース記事を読んで、「受験生ブルース」という歌をまず思い出した。この歌のおかげで、砂を噛むような、と来れば自動的に「味気ない」が出てくる。自分は「砂を噛むよう=悔しい」という解釈が存在すること自体、このニュースで初めて知った。ただ、すでに半数以上が違った意味で使っているとなると、その言葉に新たな用法が発生したのであって、もはや「誤り」とは言えないと思う。自分が使うことはないだろうけど、こういう用法もあることは覚えておかないとならない。

「砂をかむよう」5割以上が誤った意味で使用 文化庁調査 | NHKニュース

この記事に「受験生ブルース」が出てこないのは、自分には意外だった。高石友也というフォーク歌手が昭和43年にヒットさせた歌ということで、その頃まだ自分は生まれていなかったが、この曲が入った日本のフォークソング特集のラジオ番組を父が録音したテープが実家にあって、小学生の頃からよく聴いていた。そのテープには「受験生ブルース」の作詞者である中川五郎の「主婦のブルース」も入っていた。いまあらためて聴いてみると、ギターのスタイルは初期ディランのようなトラッドな正調フォーク。歌詞の内容も、50を過ぎた平凡な奥さんのぼやきとして軽めの調子で語っているが、戦争に翻弄された女性の人生を歌っている。子供だった自分にはよくわからなかったが、大人になってちゃんと読むと重たい歌詞。


おお 人生は悩みよ ちっとも楽しくない

「砂を噛む」と似ている英語の表現に「bite the dust」というのがあって、これは「地面に倒れる、戦死する、敗北する、屈辱を受ける」という、現代日本人の解釈に近い意味である。自分がこの言い回しを覚えたのはもちろんクイーンの「地獄へ道づれ(Another One Bites The Dust)」からである。映画「ボヘミアン・ラプソディ」で一番自分の印象に残っている好きな場面が、ファンキーなベースからこの曲が誕生するスタジオでのシーン。ディスコ路線の音楽制作をめぐってメンバー間で口論があった末、作曲者のジョン・ディーコン役が、喧嘩しててもしょうがない、やろうぜ、と渋い顔で黙ってベースリフを弾き始め、嫌がっていたブライアンとロジャーもリズムに乗ってくる。これも映画向けに脚色されたエピソードなんだろうけど、人間関係の不協和音を音楽の力が組み伏せてしまう展開は、単純にかっこいい。そしてやはり、ジョージファンの自分はこういう、バンド内で「第三の男」的な立ち位置のメンバーが活躍する場面にはどうしてもぐっと来がちである。

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すり傷だらけの米盤シングルを1ドルで買ったのを思い出して記事サムネイル用に撮り、ついでに聴いた。

自分は「受験生ブルース」から4年後の昭和47年生まれで、テレビやラジオで接して自分の記憶にはっきり残っているリアルタイムの昭和歌謡は、年代を調べると昭和52年以降のものだった。5歳の頃だ。それ以前のものは後追いである。自分の中に音楽つきで残っている最古の記憶は、東京の日比谷公園の広場で、井上陽水の「夢の中へ」をラジカセか何かでかけながら踊っているお兄さんお姉さんたち、という光景である。「夢の中へ」は昭和48年の曲で、自分はその頃まだ1歳で関西に住んでいたはず。おそらく日比谷公園で聴いたときは最新ヒットではなく、何年か経っていたのだろう。記憶の中の景色はあまり鮮明ではなく年代物の資料映像のように色あせているのだが、音楽ははっきりと「夢の中へ」が鳴っていた。自分の中ではとても貴重な記憶なので、死ぬまで大切に取っておきたい。