Teach Your Children

夏休み中の息子と朝の散歩をしていたら市の防災放送が流れてきて、黙祷の呼びかけがあったのでしばらく立ち止まり、息子と一緒に目をつぶり祈った。今日は2020年8月6日、広島への原爆投下から75年。自分は広島を訪れたことが一度もなく、もちろん息子もなので、今年は原爆の記憶をとどめる場所を実際にこの目で見ようと正月頃には思っていたのだが、広島どころか県外にも出られない現状。今年の世界は、核戦争とは種類の違う、未知の感染症という予想だにしなかった災厄にかかりきりである。しかしこれも、個人レベルを超えて、有無を言わさず世界中を巻き込む大きな流れという点では、戦争と似ている気がする。自分はこの流れの中で正気を失わずにいつまでも真っ直ぐ立っていられるのだろうか。もし、非常時だから、と周りの世界が一人残らず間違った道を突き進んでも、自分は正しいと信じる道を見失わずにいられるだろうか、と黙祷の後もぐるぐる考えながら歩いていた。 歩きながら、CSN&Yの「Teach Your Children」のことも思い出した。歌詞をよく読むと、戦争と平和のことに直接言及している内容ではない。親子の避けがたい断絶と、それをいかにして乗り越えるか。理詰めで話し合って食い違いを「解決」するのではなく、互いに夢を与え合って、言葉では表せない愛情を感じながら、互いの立場を思いやって緩やかにつながっていこう、と優しく諭すような歌。グラハム・ナッシュがこの曲を書くインスピレーションになったという、ダイアン・アーバスという写真家が1962年…

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瞬間記憶喪失 陰から陽へ

8月に入って、長かった梅雨がようやく明け、夏が来た。梅雨明け宣言などなくても、明けたな、というのは明らかにわかるものだ。木曜日の夜遅くに断末魔のような大雨が降った後、金曜日の朝から空気ががらっと変わったのである。ダイナミックに季節が変わった途端、もう先月末までの長梅雨のことなどすっかり忘れてしまった。まさにジョージの「Blow Away」の歌詞そのもの。「もう思い出せない さっきまでどんな状態だったか/瞬間記憶喪失 陰から陽へ」である。 梅雨明けとともに息子の小学校も2週間半の夏休みに入った。季節の上では夏になっても、人間社会における今年の夏はいつもと違うわけで、夏休み入りも例年より遅いのだが、暮らしている地域では元から夏休みが短いので、それほどばっさりとカットされた感じはしない。今年の夏は父の農園にも行かなければ、アメリカ出張もない。春から変わらず、ずっと県内で過ごすことになるだろう。県から出なくても良いところがたくさんあるから、山登りをしたり、牛に会いに行ったり、のんびりやるさ。 3~4月にあった一連のいざこざで、ある近い親族と音信も行き来もぷっつり途絶えてしまっている。こちらは酷いことをされたと思っているし、向こうも同じように思っているようだ。現状のままでいいとは思わず、心にずっと引っかかっているが、今のところどうしようもない。こういうことも、4月にいきなりそうなったのではない。思い返してみれば長年の積み重ねである。一個の人間としてはその日その日で暮らしていきたいけど、人…

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Home Counties Boy

最近、仕事で不注意による単純ミスを指摘されることが続いた。このところの日常では、延々と、小さな小さな仕事をパズルのようにスケジュールにはめ込んでは片付けている。いくら小さくても一件一件、最低限の品質は確保すべく、ちゃんと見直してミスをつぶした上で納めているつもりだったが、指摘されると本当に申し開きようのないケアレスミスが残っていたことに気付かされ、非常に決まりが悪くて恥ずかしい。先週末にもそんな思いをして、もう少しちゃんと丁寧にやらねば、と気を引き締めたその日に納めたものに、また同じようなミスの指摘が来た。さすがにこれはかなり堪えた。もう今の自分は、この仕事を正確にこなしていく力を失ってしまったのかもしれない。いや、人間だもの、こういうミスは往々にしてある、たまたま続いただけだ、こんなことでめげてても仕方ない、と頭の中でぐるぐる繰り返すばかり。失敗しても誰もフォローを入れたりしてはくれない。立ち直れなければ信用を失い、仕事が来なくなって失業するだけ。自分でどうにか乗り越えるしかない。考えたのは、しばらく仕事量を減らそうということ。このたびの事態を重く受け止め、深く反省する期間を設ける、要するにしばらく仕事をサボってぼんやり暮らしたいと思った。手持ちの案件は残っているし、完全に仕事をせずに暮らすのも自分には難しいことなので、1日にこなせると思っている分量を半分にする。それを超える案件は全部断る。すると収入もきっちり半分になるのだが、ステイホームだ何だで旅行にも出られず、長すぎる梅雨に入ってからは悪天…

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